愛がなんだ。の感想
ブログ2ヶ月ぶりになってしまった…案の定モチベーションが続かない・・・
さて、愛がなんだ。をやっと見てきました。
散々タイムラインで騒ぎましたが、見てから1日経って落ち着いたので感想を。
普段、感情が動くことが滅多にない僕ですが、これら見事に感情にぶっ刺さった映画でした。
どんな話だったか一言でいうと
『なによりも彼(マモル)が好きなのに、彼にとって私は一番じゃない。不毛な恋愛をしている女、テルコの物語。』です。
「全部が好き。でもなんだろう。私は彼の恋人じゃない」
というセリフがブッ刺さってずっと気になっていた映画なんですよね。
皆さん、今までの人生でそんな人いました?
思い浮かぶ人にとっては自己投影しやすい作りになっているのでぶっ刺さって
『ヴッ…』と吐きそうなると思います。
~~~~~ここから軽いネタバレ(全バレはしないよ)~~~~~
主人公28歳のOLのテルコは感情で恋愛するタイプの人間。
マモちゃん(成田凌)に出会ってからというもの、世界が一変してしまった。
そんなテルコは彼に無我夢中になるあまり、
「仕事も友人も何もかもいらない。あの人と過ごせればそれでいい。」
といって仕事を辞めたりしてしまいます。
それほど人を愛するという体験。一度はしてみたい…
ヴッ…吐きそう…
全てを捨てて、クズ男のマモちゃんに恋をしているテルコ。
映画の序盤では今日も彼女は病気の彼のために買い出しを頼まれ、家を訪れたが終電もなくなった時間に家を追い出され、トボトボと徒歩で帰途につく。
それでも彼のことが好きだから、やめられない、少しも苦に思わない。
…どこか人ごとに思えない不思議な話である。
見てて危うくて、無邪気で、そこが彼女の魅力だと思います
僕も序盤は「馬鹿な女だな。雑魚乙。修行が足りん」
と思っていましたが、中盤になると、もはや笑みは消え、
苦虫を噛み潰したような感じで、
「ヴッ…」
と言いながら自分の古傷を抉られつつ見る羽目になりました。
クラブのシーンとかね…、中原とのコンビニのシーンとかね… ヴッ…
何が言いたいのか
この世の中には、無数に「正しい愛」のサンプルが存在しています
一般的にいわれている「正しい愛」は純愛ですよね
「一人の人を愛し一人の人を愛しぬく」
これはキリスト教世界の価値観で正しい恋愛だと言われています
このストーリではその価値観はサンプルの一つだということに過ぎない
といっているように感じました
思い返すとテルコから
「愛がなんだってんだ、そんな誰かが定めた何かで私を縛らないで」
というメッセージがあったのかなと
人はいつだって自分の恋愛を世界にあふれている「正しい愛」のサンプルに当てはめることで、自分が今まさに感じている感情が愛なのだと必死に感じようとしているのかな
逆に言うと、そういったサンプルに当てはまらない、当てはめることができない関係性を築いている他人を、
それは「愛ではない!!!」と攻撃し、自分を「サンプルに当てはめて」安心感を得て、サンプルに当てはまらない他人にマウントするんです
まぁ、マウントする人って優劣をつけることではなくて「自分を肯定すること」が目的なんだとも思います
自分のやっていることは本当に正しいのか、つまらない間違いを犯していないかと、
どんどん不安になる。不安から逃れるためにサンプルに当てはめ、ランクで理解しようとする。
マウントってそういうことなのかなと思います
まぁマウント論は置いといて、
テルコを見ていて「好きな理由を言えるうちは愛とは言えないんじゃないか」とも思いました。
ここまで書いて思ったのは
「シラフでネット語りしてる30歳のおじさん(僕)まじでキモい・・・・・・・」
ってことですね
ちなみに最後のシーンの中原の「一瞬の奇跡」
一枚の写真に愛情を詰め込んで、消化しようとしていたのまじカッけえっす・・・
このくらいにします。久々に感情が動かされた面白い(グロい)映画でした
人って感情が動くから人生が楽しいんです
と久々に思い出しました。そんな良作です。まだやってるのでみなさんも是非